銀座八丁ストーリー|銀座なび

 
 

銀座一丁目(歴史とモダンアートのエリア)

 
 
銀座の町並みをイメージさせる煉瓦街発祥のエリアになります。明治時代の建物や道路などは残っていませんが、煉瓦の洋館風の建物もありその当時取り入れられた西洋文化の面影を彷彿させられます。
 
 
 

煉瓦銀座之碑

 
明治5年(1872年)2月26日に発生した銀座大火により、銀座全域を焼き尽くしました。当時の東京府知事である由利公正は、火災に強い都市を建設することを主張し、街の不燃化が計画されて銀座煉瓦街が建設されました。また、街路照明はガス燈が採用されたようです。その後、街の発展とともに煉瓦街は姿を消しましたが、当時の煉瓦が発掘されたのを契機に昭和31年(1956年)当時の方式を再現し、そこに煉瓦の碑が建てられました。となりにあるガス燈は、明治7年の燈柱で燈具は当時のものを忠実に再現されているようです。
 
 
 
 

古風の建物(奥野ビル)

 
そして、銀座一丁目の町並みには、昭和初期の面影を浮かべるようなモダンなスタイルの建物が健在しています。

築80年前以上の建造物になるようですが、当時は高級アパートメントだったようです。現在では、そのモダンなスタイルを活かしての画廊やギャラリーなどで活用されているようです。
 
 
 
 

幸稲荷神社

 
江戸期から銀座一丁目の護り神とされ、もとは京都の伏見稲荷神社から勧請されたといわれております。その昔、太刀の市がたったことから太刀売稲荷とも呼ばれていたようで縁結びの御利益があるとされています。
 
 
 
 

安平神社(やすひらじんじゃ)

 
ビルの隙間にひっそりと残る神社。江戸時代に、新庄美濃守(しんじょうみののかみ)の屋敷があり、屋敷神として祀られた稲荷神社になります。明治時代には、万安樓(まんやすろう)という料亭が創業し、その敷地内で安平神社として祀られたそうです。現在は、万安樓があった敷地に「銀座タワー」が竣工し、その片隅に「安平神社」が残されています。境内に由緒は無く、ご利益等詳細は不明となります。