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銀座六丁目(百貨店から銀座エリア最大の商業施設へ)

 
 
戦後の復興のシンボルとして成り立った百貨店から、銀座エリア最大級の商業施設となった銀座6丁目デーパートがある場所。今後、益々の発展が楽しみなエリアです。
 
 
 

松坂屋銀座

 
松坂屋銀座は関東大震災の翌年、1924年(大正13年)に銀座初の百貨店としてオープンしました。そもそも松坂屋は、織田信長の家臣であった伊藤蘭丸祐道(すけみち)が創業者で、松坂屋の前身の「いとう呉服店」として1611年(慶長16年)名古屋本町に創設されています。松坂屋銀座のオープンは、関東大震災1923年(大正12年)の翌年ともあって焼け跡が残る中銀座復興のトップを切って開店し、人々に夢と希望を与えました。オープン当初より、日本の百貨店では初めてとなる全館土足入場の断行や女性社員の完全洋装化、「星の食堂」として松坂屋銀座の屋上にオープンなレストランなど次々に新しい試みをしてきました。2013年6月30日、ビルの建て替えを目的に創業88年で幕を閉じることになってしまいましたが、銀座の百貨店を造り上げてきた物語は今後も引き継がれるでしょう。
現在は、銀座6丁目再開発事業として、2017年4月20日「GINZA SIX」として新しい商業施設として生まれ変わりオープンしました。
 
 
■大正時代の松坂屋銀座
写真提供:中央区立京橋図書館
 
 
 
 

石川啄木の碑

 
銀座並木通りの歩道を8丁目から4丁目方面に歩いていると銀座6丁目朝日ビルの前にくすんだ緑色の石碑があります。これは、銀座の石川啄木の碑です。石川啄木がかつて勤めていた朝日新聞東京本社がこの地にあった事を記念して、1973年に旧朝日新聞社の跡地として朝日ビルの前に朝日新聞の関係者により建てられたようです。
啄木の歌碑には、「瀧山町の新聞社、灯ともる頃のいそがしさかな」との作品が紹介されています。当時の滝山町は、現在の銀座6丁目にあたります。
 
 
 
 

靍護稲荷神社(かくごいなりじんじゃ)

 
1815年(文化12年)に山城伏見の本宮(現在の伏見稲荷(京都))から勧請して江戸の根岸の里に奉安されました。1929年(昭和4年)2月18日に松坂屋銀座店屋上に分霊を遷座、2017年(平成29年)4月20日、「GINZA SIX」オープンと共に屋上にて遷座されました。
 
 
 
 

演舞場稲荷大明神(えんぶじょういなりだいみょうじん)

 
新橋演舞場の正面入口の右側奥に鎮座している神社です。演舞場の敷地内に有ることから、舞台関係者、役者衆が、舞台の成功や安全を祈願して参拝されることが多いようです。