日本の化粧品技術と文化をリードする企業の始まりや昭和初期の雰囲気をそのままに残す現存する日本最古のビヤホールがあるエリア。商業ビルも多く立ち並び、中央通りより1本中に入ると少し落ち着いた街並みへと変わります。
1911年(明治44年)、銀座尾張町の角(現在の銀座四丁目の角)に、「カフェー・ライオン」が誕生しました。その後、1931年(昭和6年)、経営陣が変わるとともに、「ライオンヱビスビヤホール」と改名して開店。戦火で焼失するものの地下に移動して営業を開始。現在の銀座ライオンGINZA PLACE店(銀座五丁目 ビヤホール)の前身となります。そして1934年(昭和9年)新たに京橋区竹川町に「銀座ビヤホール」(現ビヤホールライオン銀座七丁目店の前身)が開店します。この1階のビヤホールは開業以来、全く変わらぬ佇まいのまま、現在に至ります。当時のビヤホールは、他にも賑わっていましたが、現存するビヤホールとしては、日本最古と言えるでしょう。
1872年(明治5年)、日本初の洋風調剤薬局として、資生堂が東京・銀座に創業しました。
資生堂という名は、中国の古典「易経」の中の「大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものは、ここから生まれる」という意味の一節に由来しており、人々の生活の中に新たな価値を生み出していこうとする決意が込められているようです。
薬学の知識を生かして化粧品をつくり、1916年(大正5年)には現在SHISEIDO THE GINZAがある銀座7丁目角に資生堂化粧品部を設立しました。
以来、100年以上に渡り日本の化粧品技術と文化をリードしている企業となっております。
■大正時代の資生堂化粧品部
豊岩稲荷神社は銀座七丁目の路地裏にひっそりと鎮座する神社。江戸初期からこの地(現在の銀座七丁目8番14号)に火防神・縁結神として信仰を集め、なかでも歌舞伎役者市村羽左衛門が深く当社を信仰したことで知られます。近年は、縁結びのご利益がより注目を集め人気のパワースポットの呼び声が高い神社となっています。