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銀座八丁目(日本のカフェの始まり)

 
 
銀座八丁目は、日本におけるカフェの始まりや西洋料理の草分け的存在となる資生堂パーラーなど歴史あるストーリーがあります。銀座のカフェ文化を根付かせたのもこの銀座八丁目が起点ともいえるでしょう。

 
 
 

カフェー・プランタン

 
「日本初のカフェ」としてカフェー・プランタンが1911年(明治44)3月にオープンし、若い画家や詩人たちの欧米風のたまり場、会話の場を求める声を受けて誕生しました。このカフェー・プランタンがあったのが、日吉町(現在の銀座八丁目6番24号)現在の銀座会館付近になります。
 
 
 
しかし、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で店は焼失してしまいました。震災後、日吉町の東側で銀座通り沿いの南金六町(現在の銀座八丁目9番16号)に移転したようですが空襲の激しくなった1945年(昭和20年)3月、建物疎開により店は取壊されてしまったようです。
 
銀座では当時、この「カフェー・プランタン」を皮切りに「カフェー・ライオン」、「カフェー・パウリスタ」が相次いで開店し、現在のカフェ文化を築き上げた地域ともいえるでしょう。
 
 
 

資生堂パーラー

 
資生堂パーラーは、1902年日本で初めてのソーダ水や当時珍しかったアイスクリームの製造と販売を行うソーダ―ファウンテンとして誕生しました。1928年から本格的にレストランを開業し、多くの定番メニューを考案して、西洋料理の草分け的存在となりました。そして銀座では欠かせない名所になりました。銀座に来られた際には、創業当時から受け継がれるオムライスやカレーライス、一度は食べてみたいですね。
 
 
■昭和初期の資生堂パーラー
写真提供:中央区立京橋図書館
 
■現在の資生堂パーラー
 
 
 

八官神社(はちかんじんじゃ)

 
銀座八丁目のビル1階の一角にひっそりと佇む神社。もともとは、「穀豊稲荷神社」(こくほういなりじんじゃ)とよばれ八官町12番地(現在の銀座八丁目)に鎮座していたが、関東大震災後の区画整理で町名がなくなることを嫌った町民が「八官神社」と改称して町名を残したことが名前の由来とされています。その後、焼失や移転などを経て、現在のビル(銀座八丁目4番 銀座はちかん3110ビル1階)に納まったとされています。
商売繁盛、金運アップのご利益があるとされ、宝くじを買う前に参拝する人が多いとも言われています。
 
 
■1900年(明治33年)頃の穀豊神社(銀座八官神社)
写真提供:中央区立京橋図書館
 
■現在の八官神社